【2018年8月号 VOL.01】岩手さわうち食の普及会通信


ー 通信発行のご挨拶

4月の頭にはまだ雪に覆われて一面真っ白な世界だった沢内。
それが中頃になると雪がどんどん消え始め、短い夏の間に太陽の光をたくさん吸収して子孫を残そうと今は山も畑も田んぼも、もっこりと緑をたたえています。

この沢内の自然の移り変わりの勢いは、今を精一杯生きる、ということを思い出させてくれます。

朝、事務所へ向かうときに見る山々の風景も、
仕事帰りに田んぼから聞こえる蛙の声も、すべて一期一会。

刻々と変わる雲の流れも花を揺らす風の流れも一期一会。

今日この時だけの連続の中で、ここ沢内の自然から与えられたものたちを、「岩手さわうち食の普及会」を通して全国のみなさまへ提供させていただくことができますことは、この上ない歓びと感謝しております。

当会では、さらにたくさんの沢内の恵みや里人の魂のこもった伝統文化の産物を、 みなさまにご案内できますよう準備を進めております。

この通信では、普及会からのお知らせや沢内の食・文化・歴史など、さまざまな情報を皆さまにお届けしてまいります。 どうぞよろしくお願いいたします。
岩手さわうち食の普及会代表 鈴木(すずき)美感子(みなこ)
 



(絵)

西和賀町は山の中
和賀川沿いに十二里半 南に焼石岳
北に高下岳 東西の峠は熊の通い道 里に花多し
森に樹多し 山に獣多し
川に魚多し 米三千石 雪十尺
(文:深澤土楽エ門)

− 絵と文 東條忠義 −
1937〜2007.岩手県和賀郡沢内村(現/西和賀町)生まれ.
CMディレクターとして
サントリーの開高健や山口瞳出演のCMや資生堂など多くのTVCMの名作を制作.
2014 ACC CMクリエーター殿堂入り. 日本を代表するCMディレクター.

CM制作と並行して深澤土楽ェ門の陶工名で作陶を続け,多くの陶器作品を残した.
後年 生まれ故郷の沢内に居を移し以降,
CM制作と作陶に励むかたわら沢内の自然や風土を題材に絵本をつくり,
コンテスト最優秀として岩手県立図書館より「カンツカの勘治物語」が刊行された.

 
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ー ゼンマイ採りの魅力 

西和賀地方、特にも旧沢内村は山菜やキノコの宝庫として有名である。
それらは昔から現金収入の少ないこの地方の人々にとって貴重な収入源であった。

しかしながら山菜やキノコ採りの魅力は単にお金になるということばかりではない。

それらが生えている場所を見つけた時や、
その場所にたどり着くまでのあのドキドキするほどの感動こそがその魅力なのである。

だからこそ山菜採りの名人と呼ばれる人たちは、そのシーズンになると、
山に生え出しているその様子が目に浮かんできて、矢も盾もたまらずに出かけていくのである。

そしてこのことはおそらく縄文時代から続いてきているに違いない。
なぜなら1万2千年もの間、自然の恵みを活用している彼らがこうしたことをしないはずが無いからである。

山菜採りのなかでも特に名人たちを駆り立てるのはゼンマイ採りである。

「ヒラツキ」一面に生えているゼンマイは見事という他はない。

「ヒラツキ」というのはこの地方の方言で、
冬場に尾根筋に降り積もった雪が雪庇となって発達し、春先の気温の上昇に伴ってその重みであちらこちらに亀裂が入り、やがて全層雪崩となって崩れ落ちるような、比較的湿り気のある急峻な斜面のことである。

50〜60cm程に成長したゼンマイが、一株から7〜8本も生えていて、
数千株もの数でその「ヒラツキ」一面を覆い尽くしている光景を目の当たりにした時の感動は、とても言葉では言い表せるものではない。その魅力は「魔力」と言ってもいいのかもしれない。

ゼンマイ採りの名人たちが一度に背負って来ることができるゼンマイの量は大体25〜30kg程であるが、かつては40kgも背負ってくる豪傑もいたそうである。





それでも乾燥されたゼンマイの歩留まりは一割程度にすぎない。

ゼンマイは一度乾燥してからでなければ食べることが出来ないので、
採取されたゼンマイは釜でゆでてから「筵(むしろ)」などに広げ、丁寧に揉みながら仕上げられていく。

ゼンマイのゆで加減は非常に微妙で、仕上がりの良し悪しはこのゆで加減次第といって良い。

上手に仕上げられた干しゼンマイの色合いは「飴色」と称され、暗赤黄色となっている 。
こうしたものは食べた時の歯ごたえも程良い「しなみ」があり絶品である。

また一言でゼンマイ揉みとは言っても、炎天下の中で繰り返し何度も揉まなければならないし、
ゼンマイが割れないように、最初は優しくゆっくりと揉まなければならないので
大変な重労働である。

そのため家にあってこうした役割を果たしてくれる人がいなければ
ゼンマイ採りをすることが出来ない。





このようにゼンマイ採りとそれを仕上げることは大変な重労働であるが、
実はゼンマイ採りというのはそれ以上に大変な危険を伴うものである。

前述したように「ヒラツキ」というのは全層雪崩が起きるような大変急峻な斜面であり、
ゼンマイ以外にはタニウツギなどの灌木類がまばらに生えているだけで、湿り気もあり大変滑りやすいのである。

このような場所でゼンマイ採りをするためには、先ず背負って帰るためのリュックサックや南京袋などは、沢沿いや尾根筋の比較的平らな場所に置き、「コダシ」と呼ばれる入れ物だけを肩から下げて、それが一杯になったら一度戻って「コダシ」を空にしてから再び採りはじめる。

こうしたことを4〜5回ほど繰り返すと目標の量に達するのである。

足にはスパイク付きの地下足袋を履くか、「金カンジキ(アイゼン)」を付けて滑らないようにし、
まばらに生えている小径木を頼りに、片方の手は常にそれらに掴まりながら慎重にゼンマイを採っていくのである。

枯れているものや折れてしまいそうなものには絶対に掴まってはならない。
それでも時として不慮の事故につながってしまうこともしばしばで、命を落としてしまうことさえある。 ゼンマイ採りの危険はゼンマイが生えている斜面ばかりではない。

ゼンマイ採りのシーズンは5月の初旬から6月の中旬までであるが、
この頃、里の雪は全て消えているものの、ゼンマイが生えている奥山では沢沿いのあちこちにまだ「雪渓」が残っている。

「雪渓」というのは冬に積もった雪が沢沿いに細長く残されたものを言うが、
天気の良い日はこの雪が急激に解け出して沢の水かさが増し、川が越えられなくなる時がある。

そのため天気の良いときほど朝早く出掛けて行き、できるだけ早く帰ってこなければならない。 また気温が上がると、重い荷物を背負って雪渓を渡り歩くこと自体が大変危険である。

「雪渓」の下は水が流れていて空洞状態となっているが、
その両端ほど雪が厚く、真ん中にいくほど薄くなっている。

そのため真ん中は絶対に歩いてはいけないし、沢の地形によっては端の方でも薄くなっているところがあるので、どこが安全なのかを慎重に見極めながら歩かなければならない。

こんなにも危険なゼンマイ採りであるにもかかわらず、
春になると今でも多くの人たちが山の奥まで出かけていき、
庭先に筵を広げて立派なゼンマイをたくさん干している光景があちらこちらで見ることができる。

一昔前ならいざ知らず、
今では現金収入だけが目的ならもっと楽な手段がたくさんある筈である。

それならどうして名人たちはゼンマイ採りに出かけていくのだろうか。

その答えは、私たち沢内の人間は、
1万2千年もの間一つの文化を守り続けたあの縄文人の血を色濃く受け継いでいるからに他ならない、 と私は確信している。

ゼンマイ採りの魅力 西和賀沢内マイスター 高橋康文
1954年岩手県沢内村(現西和賀町)生まれ. 東北大学法学部中退. 東京・仙台での民間会社勤務を経て1988年Uターン. 同年 沢内村「雪国文化研究所」に勤務.1995年沢内村商工会事務局長. 2007年より老人福祉施設に勤務し現在に至る. 沢内村や西和賀地方の自然・歴史・文化・習俗に精通. 春秋には深山に分け入り山菜やきのこを採る<山菜採り名人>のひとりである.

 
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ー ふるさとの生産者を訪ねて (1)

岩手県和賀郡西和賀町沢内地区は、奥羽山脈の背骨に沿って、
南北に約30キロ、標高265mから標高500mに開けた山里です。

全国に4種しかない天然記念物の「岩手地鶏」をルーツに持つ「南部かしわ」を、
自然豊かなこの山里でブランド地鶏「銀雪」として大切に育てています。

岩手県農業研究センター畜産研究所とタイアップしながら、
一定の品質を保ちつつ南部かしわの旨さを最大限に引き出す飼育法の研究を日々行っています。

地鶏は夏の暑さに弱いため、沢内の涼しい気候が飼育に向いています。

「銀雪」は、静かで風通しの良い鶏舎環境の中、1平方メートル当たり3.5羽(平均は10羽以下)で平飼することによりのびのびとストレスなく運動し、また、飼料には地元沢内産の大豆や米を与えることで、身の締まった最高の肉質になります。

さらに、通常地鶏は80日以上でよいとされている飼育期間ですが、
120日間とゆっくり育てることで、地鶏特有の食感と旨味をさらに引き出すようにしています。



西和賀町沢内大野営農組合 組合長・南部かしわ<銀雪>生産者代表 高橋雅一さん

 
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ー さわうちに移住して

こんにちは。今年の7月、東京から西和賀町・沢内に移住してきました門馬です。
地域おこし協力隊として働いていますが「岩手さわうち食の普及会」でもWEBサイトまわりのお手伝いをさせていただいています。
 


●東京出身の私が、なぜここ沢内に移住してきたのか?

はじめて沢内に来たのは4年前の冬です。

西和賀町では毎年2月に「雪あかり」というイベントがあり、そのイベントのお手伝いや雪かきのお手伝いをするボランティアに参加したのがきっかけです。

沢内・大野地区のみなさんは、初めてきたボランティアメンバーをみんな孫のように優しくしてくださって、「寒くない?」「たくさん食べてね」「遠いところからよく来たね」と声をかけてくれて、おばあちゃんの家に来たようなあたたかい気持ちになりました。

そんなあたたかい地域のみなさんに惹かれて、すぐに大好きになりました。
それから年2-3回地域のお手伝いをしながら遊びにいくようになり、東京から週末だけ関わるだけではなく、「じっくり地域に関わりたい」と思い、移住を決めました。

●沢内って、どんなところ?

最初2mほども積もる雪を見て、「生活大変そう!」と思いました。

「こんなに雪が降ったら外に行くのも不便で大変ですね」雪かきのお手伝いに行った際に、
そのお家のおばあちゃんに聞いたことがあるんです。

「確かに冬は大変だけど、時間があるから孫の服を作ったりしてるんですよ。夏に、『この冬は何作ろうかな』と考えるのが楽しい。それに冬のたのしみがあるから、夏の畑仕事ががんばれる。」

とてもポジティブで力強い、と感じました。

休耕地を活用して蕎麦や大豆をつくったり、地鶏の南部かしわの飼育をはじめたり、
またこれからノンケミカルな農業がはじまろうとしています。

自然が厳しい上に高齢化が進む地域ですが、
「何にもない」ということで何もしないのではなく、
常に何かを生み出そうというポジティブさと力強さのある沢内、私はそう感じています。

これから沢内のみなさんの想いを、
岩手さわうち食の普及会を通して形にできるお手伝いができたらと思います。
 
●読んでくださっているみなさんへ

地図を見ると、とんでもなく行くのが難しそうに感じられるかもしれません。
東北新幹線 盛岡駅・北上駅からどちらも車で1時間、秋田 横手駅からなら車で30分ほどです。

奥羽山脈の谷底にある自然ゆたかな「秘境」ですが、アクセスはとてもいいですよ。

私のお気に入りは5月です。
雪どけ水で満たされた錦秋湖がきれいですし、
新緑に覆われる沢内の山々はずっと見ていたくなるほどです。

ぜひ、あそびにいらしてください。
おすすめの場所もたくさんあるので、気兼ねなくご連絡ください。

門馬由佳
1990年東京出身. 津田塾大学学芸学部国際関係学科を経て明治大学専門大学院ガバナンス研究科にて公共政策を学ぶ.
西和賀との出会いは2014年ボランティアで. 高校までは英語が好きで海外で働くのが夢だったが、大学3年の時に福島県昭和村で外国の人と農業ボランティアに参加して田舎の日常生活を新鮮に感じ、それ以来地域に眠る魅力を伝えることに興味をもち始める. 以降 いくつかの地域でのボランティアに参加しながら地域についての見聞を深める. 
大学院卒業後 地域の特産品の販路拡大に取り組む会社で3年弱働き 2018年7月西和賀町の地域おこし協力隊として同町沢内に移住.

 
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〜 普及会便り 〜

◆長年の友人である女優の名取裕子さんが、「週刊文春」のお取り寄せ企画で、〈南部かしわ 銀雪スモークハム〉を紹介してくださったことから、私ども「岩手さわうち食の普及会」の商品が注目されて、お陰さまで幸運なスタートができました。

◆四十一年ぶりに故郷に居を据えた私は、この地の大自然が織り成す四季に魅了され、この山里に生きる人々の生活の知恵に、改めて目を見張る思いがしたのです。自然の恵みを翌年のためにも残しながら適量な収穫を行い、大切に保存し、少しずついただく。ここ沢内では人と自然との仲の良い関係が、当たり前のことのように長く続いてきたのです。

◆生活の知恵は食物だけに限りません。八幡様の銀杏が落葉して二十一日には根雪になるとか、○○山の山頂に雪が見えたら冬支度を急げとか。春夏秋冬、土地ならではの暮らしの経験則があり、それを普通のことのように守りながら暮らしてきたのです。

◆かつての貧困・豪雪・多病を克服して命の行政を成し遂げた沢内。この山里の風と水、深い自然が育んだ昔変わらぬ天然の恵みを、皆さまにお届けしたい。沢内の食と文化、伝承されてきた民芸などもご紹介したい。そのような思いから「岩手さわうち食の普及会」を立ち上げました。

◆そしてその思いにもうひとつ加えるとしたら<もう一度沢内を始めよう!>という願いです。人は自然の中で、自然のものを頂きながら、自然を畏怖し、自然とともに生きていく。そのような沢内の原点回帰は、地域の再生につながるかも知れないと、ささやかに信じながら・・・。

岩手さわうち食の普及会 会長 小田島弘枝



 
岩手さわうち食の普及会 VOL.01(2018年8月号)